以前、デエビゴに関する記事の最後に、「仕事の悩みが無くなったのにも関わらず、今も不眠なのは別の大きな悩みができたからである。その悩みの内容はいつか書きます」というような、なんだか思わせぶりな文章を書いた。
別にもったいぶりたかった訳ではなく、当時はまだ気持ちの整理ができていなかった上に(今もできていないけれど)、子供のことなのでどこまで書いていいのかという迷いがあったからだ。
でも、書くことにした。
このぐちゃぐちゃな私の悩みを吐き出す場所が欲しかったし、誰かと分かち合いたいと思ったから。自分一人で抱え込むのは、あまりに孤独で、正直おかしくなりそうだ。とはいえ、この記事を書きながら私はボロボロ泣いているから、もうおかしいといえばおかしいだろう。
自分が息子について調べているときに、他の方のブログが参考になったから同じように誰かに参考にしてもらえたら、という気持ちもあるけれど、それは後付けみたいなものだ。
私は自分が辛くて書かずにはいられないので書きます。母親として、もっと強くあれたらいいのに。子供の前では頑張れるように、ここ(ほとんど訪問者のいないブログ)ではどうか許してほしい。
さて、悩みの元である息子のこれまでと現状について書く。
息子は現在5歳、年長。年少から園に通い始めて以来、ずっと行き渋りがあった。「行きたくない」「家が好き」「ママといたい」と毎朝泣いて抵抗する息子だったが、当時の私はまだ働いていたので休ませる訳にもいかなかった。説得したり、ご褒美で釣ったり、時には怒ったり、悲しんでみせたり、小さな手を無理やり引っ張って引きずるように歩かせたり、した。園までは、普通に歩けば子どもの足でも徒歩5分ほどの距離なのだが、いつも永遠のように遠かった。
ある日、レインコートを着ていても中に着た服が濡れてしまうほどの大雨の日、息子はいつになく激しく登園を渋った。少し進んでも次の瞬間に逆方向へ走り去ったり、じっと立ち止まったり。私は出勤時間に間に合わせるために常にかなり余裕をもって家を出ていたのだが、それでも時間は刻一刻と迫ってきて、次第に不安とイライラで苦しくなっていった。
結局、暴れる息子を脇に抱えて、園の玄関に着いた。びしょびしょでぐちゃぐちゃな私たち親子を見た園の先生が「あら!よく頑張って来たね!」と笑った。その瞬間、私はなんだかその言葉が私に向けられたもののように感じられて、胸がいっぱいになってしまった。
そう、頑張って来たんです。夫も、職場の人も、誰も知らないけれど、私たちすごくすごく頑張って登園してるんです。登園なんて当たり前のことだから、誰もこの頑張りを想像すらしない。でもこの先生だけは分かってくれた気がして。
普段は玄関から部屋に入って私も支度を手伝うのだが、何か察してくれたのかもしれない先生の、「今日はこのまま預かりますよ!いってらっしゃい!」の言葉にありがたく甘えて踵を返した。途端に、涙が溢れた。
あそこまでして、こんな思いまでして、息子を通わせる意味って何なのか。他の子は皆すんなり通っているように見えるのに、なんでうちの子はそれができないのか。なんでこんなにスムーズにいかないのか。私のやり方が悪いのか。私はどうしたらいいのか。
涙が隠れるから今日が大雨で良かった、と思った。今でもすごく印象に残っている日だ。
息子の行き渋りについては、年少の時点で担任の先生に相談したり、自分なりに原因を探ったりもした。年少の担任の先生は「○○くん(息子)は初めての活動に対しての不安が強いようなので、それが原因かもしれません。無理強いせず、少しずつ慣らしていくようにします」と言ってくださったので、そのようにお願いすることにした。とはいえ、園は活動にどんどん新しい遊びを取り入れていくから息子の不安は変わらないのでは、と思ったが、その通り、息子は行き渋りをやめなかった。
また、行き渋り以外にも気になっていることがあった。息子がいつも一人で黙々と遊んでいることだ。クラスメイトは息子に挨拶をしてくれるので、いじめられている訳ではないようだったが、友達とのかかわり合いが少ないように感じられた。息子の園は赤ちゃんの頃から通っている子もいるので、年少からの息子はなかなか馴染めないのかな、と心配しつつ、一人で黙々と遊ぶことが悪い訳ではないので見守ることにした。
年中になっても息子は行き渋り続けた。しかし、年中になってからは、私が仕事を辞めたことによって登園時間を遅くできるようになった。それによって、朝にゆったりと遊んでから登園できるようになり、それで気持ちが落ち着くようになったからか、それとも諦めてくれたのか、抵抗はマシになった。(あくまで「マシ」程度であったが。)息子の中で遊びの区切りが悪いと大泣きして暴れることはあったが、一旦家の外に出てしまえば、文句を言いつつも歩いてくれるようにはなった。
そんな中、年中の時の担任の先生から息子に対して「全体に対しての指示が息子に通りにくい」「2つ以上の指示をすると実行が難しい」という指摘があった。それを聞いて、私は「あ、息子もか」と思った。幼少期の私も同じだったからだ。それを担任の先生が笑いごととしてではなく問題として指摘するということは、他の子はできていて、できないのが変だからだ。皆にできて息子と私にできない。つまり、息子はもしかしたら私と同じ性質を持つ、発達障害の可能性がある、と思い至った。
このブログで何度か書いた通り、発達障害のASDグレーゾーンの私は、就職した会社で仕事ができず、職場の人間関係にも悩み、現在は無職である。私の場合、学生時代は変人扱いされながらも幸いどうにか過ごせたが、社会人になってから行き詰まり、ずっと生きづらさを抱えている。
息子も私みたいに苦しむのか。私の可愛い、大切な息子。嫌だ。
ちなみに家では、息子に対して「指示が通りにくい」「2つ以上の指示をすると実行が難しい」という印象は無かった。というのも、後述するが息子の姉、つまり私の娘も同じように人の話を聞いていないし、こちらの指示をすぐに忘れるからだ。娘がそのような指摘を先生からされつつも大して問題視されなかったため、子供というのはある程度そういうものだと思っていた。私もそうだったし。
だから自然と、子供に指示するときは一旦注意を引いてから話し始めたし、1つ目に指示したことができてから次の指示をするようにしていた。このやり方は対策としては合っていたようで、そのため家にいるときは問題が起こりにくかったのだ。
息子の担任の先生からは「検査」や「療育」という言葉は出なかったが、私から先生にお願いして発達支援センターに繋いでもらうことができた。
(なお、先ほど書いた通り私の娘も、同じような指摘を幼稚園児の時にされている。娘には音への敏感さなど他に気になる点があり、その際も担任の先生に「どこかに相談したほうがいいのかと思っているのですが……」というようなことを伝えたが、先生からは「お母さん考えすぎですよ」というような反応であった。小学生になる今も、娘は何の支援も受けていない。娘は息子とは違う園に通っていたので、このように先生の反応が異なったのかもしれない。ただ、娘は友人関係にも勉強にも問題なく通常級に通っているから、先生の「考えすぎ」という反応も当たっていたのかもしれない。しかし、私自身が学生時代には大きな問題が起きなかったタイプのASDであることから、娘について「本当に何も支援をしないまま成長して大丈夫なのだろうか?」と気がかりである。)
発達支援センターで調べた結果、息子は運動、社会性、言語ともにだいたい1歳くらいの発達の遅れがあることが判明した。(インターネットで調べたところ、この年齢の1歳遅れは知的障害のグレーゾーンと書かれていた。私に知的障害は無いので、息子の方が私よりもハンデが多いかもしれない。その点もショックであった。)検査をした方からは「園での活動では、できないことが他の子よりも多いから本人は辛いでしょう」とのことだった。
それを聞いて、私は自分の会社員時代を思い出した。他の社員が難なくこなす業務や雑談が、私にはできなかった。必死にやって、ようやく人並みになれればいいが、実際はそれ以下。初めは優しかった人の目が、次第に「何なんだコイツ」に変わるあの瞬間。どうして自分は普通にできないんだろう、どうしてこんなにダメなんだろうと思い続けた、あの日々。
息子、ごめん。
私が一番「皆と同じに、普通にできない辛さ」を知っていたはずなのに。
私は息子に「頼むから『普通に』幼稚園に行って」と言った。
「負けたくないから今日の鬼ごっこ参加しなかった」としょんぼりする息子に、私は「いいから次はやってみな」と雑に言い放った。
友達にいろんな場面で散々負けて、プライドを折られまくった息子が、何とかその場にいるために一生懸命考えた知恵だったのに。
全然分かってあげられてなかった。
発達支援センターには、現時点で半年ほど通った。発達支援センターでの滞在時間は1時間ほどで、前半は先生が用意してくれたゲーム(訓練を兼ねて、知育玩具を使ったり簡単なルールで体を動かしたりする)を先生と私と息子で遊ぶ。そして後半は私と先生とで話し合う。話し合いの内容は現状や今後のことである。その間、息子は一人でおもちゃで遊んでいる。
発達支援センターの先生に勧められ、この春から息子は療育に通うことになった。来年の小学校への入学を見据えて、週3回。
発達支援センターに行くことになった時点で、息子が療育に通う可能性はあった訳だけれど、本音で言うとどこか受け入れられない自分がいる。
息子は療育を受けなければならないほど状況が悪い、という現実。自分の人生すらままなっていない私が、息子の人生をいい方向に導けるのか、という不安。
「発達支援センターで検査したら、意外と何も無かったですよ、お子さんは『普通』ですよ」っていう未来を期待していたのかもしれない。
最近では「来年は通常級にするか、支援級にするか、お母様の考えはどうですか」なんて話が出始めて、相手の手前「まだ検討中です」なんて冷静に答えているけれど、全然心が追い付かない。可愛い息子に1歳分の発達の遅れがあって、おそらくASD(未診断だけど人間関係の構築の苦手さや、負けることへのこだわり、切り替えの下手さなどから可能性は高いと思う)だなんてこと、簡単に受け入れられない。ましてやASDに関しては、その人生の大変さを私自身がよく知っているから。
「私のように何の支援もされないで、大人になって発達障害だって分かることは辛いんだから、息子が今、小さい段階で療育に繋がれていることは絶対に息子のためになっている。現実をよく見て、息子が少しでも幸せになれるような道を選んであげよう。たとえその道が、『普通』とは違っていても。」
分かっている。私たちのような普通と違う人間が「普通」にこだわるとロクなことはない。さっさと普通の呪縛から逃れた方が幸せになれる。そんなこと、私自身が一番分かっている。
でも、愛する息子のことになると、なかなか割り切れない。
息子は「普通」になりたいだろう。「普通」を諦めることは痛みを伴う。一旦そこで息子は苦しむだろう。仕方ない痛みだけれど、母としては辛い。
頭の中はぐちゃぐちゃである。でも立ち止まっている暇はない。少しでもいい方向に進めるように、腹くくってやるしかないのだ。これが人を産んだ責任というものだろう。
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とりとめも無く書いてしまった。
今日も息子は朝起きるなり「今日は絶対に幼稚園に行かない」と宣言し、何とか説得して制服を着てくれたものの、登園時間になったので遊びをやめるよう伝えたら泣いて制服を脱ぎ、それを踏みつけた。それを見て私は怒り(良くない対応)、「じゃあそんな制服捨ててしまえ」と言い、捨てるふりをした(最悪)。本当に制服を捨てられると思った息子は「ごめん」「○○(息子)がバカだからこういう風にしちゃうんだ、○○なんて生まれなければよかった」と大泣きした。なんでこんなことを息子に言わせちゃうんだ、バカは私である。園に送り届けてから泣いた。この最低な気持ちをどうにかしたくて、気が付けば4時間PCを打ち続けていた。分かってもらえるとは思いません。でも誰かに分かってほしい。
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