アラフォー主婦のほしのさちみです!
突然ですが皆様、部屋にお花って飾ってますか?
時々雑誌などでお見かけする、「部屋にお花を絶やしません。いつも何かしら飾っています」という人。
そんな人って、自分の日常を愛していて、ひいては自分自身も愛せているというか。
花を愛でる心の余裕、精神的な豊かさ、すぐれた美的感覚……
す、素敵!!!
さちみもそんな、部屋に花を絶やさない人になりたい!!!
という訳で以前チャレンジしたことがあったのですが、
結論、「さちみには無理」でした。
無理だった理由は、金銭的な問題でも、水の取り換えの煩わしさでもなかった。
理由は、「日々、花が傷む過程を確認し続け、最終的に捨てる罪悪感に耐えられなかったから」です!
はい???って感じでしょうか。
聞いたことない理由。
さちみが花のある生活に挑戦した時を振り返ります!
※今回の内容は切り花を飾る方を批判したい訳では全くありません!
【飾りたての頃】
お店で気に入った花を購入。単純にきれい。見るたび嬉しい。
【1週間ほど経過して】
あ、ちょっと弱ってきたな……って気づくと、
そこからは「まだ飾るか?もう飾るのをやめる=捨てるか?」の選択肢が常にちらつく。
(途中で剪定することもあります。)
花を見る目的が、「花の美しさを楽しむ」から「傷み具合の確認」になる。
いつお別れするか……。この花の生殺与奪の権利はさちみの手にある……。
【さらに日が経つ……】
いよいよ傷み具合が気になる。
近づくXデー。
【そして……】
飾り続けるにはあまりにも傷んでいる。となれば捨てるしかない。
でも……
一方的に連れてこられたさちみの部屋を、文句も言わずに彩ってくれたお花。いわば恩人(人?)。
そんな恩のあるお花を、枯れて用無しになったからってゴミ箱に捨てる。
そのままじゃゴミ箱に入らないから、ボキッと茎を折ったりして。さちみが息の根を止めるのだ。
それってどーなの!?
さちみはここで「私って、人間ってなんてエゴイストなんだろう」なんて考えてしまう。
(ヒィーめんどくせー奴!!)
「きれいならチヤホヤして、見た目が悪ければポイ。」
……学生の頃、めちゃくちゃ美人な友達と一緒にいたら男子がそっちばっかり見てて、さちみには見向きもしなかったことなんかまで思い出しはじめる。
(ブスの僻みと言われれば、それはそう。)
もちろん、花を買って飾ることは決して悪いことじゃないのは分かってる。
さちみの、「花の美しさは味わいたいけれど、捨てる罪悪感は引き受けたくない」という感情こそが都合のいいものだとは分かってる。
ただ、さちみにはどうしても辛くて……。
「花を飾りたい気持ち」と「花を捨てるときの罪悪感」を天秤にかけたとき、さちみ的には「花を捨てるときの罪悪感」の重さが勝ちました。
部屋に花を絶やさないようにしようすると、定期的に花を捨てる必要がある。
定期的にこの罪悪感を味わうのは、さちみには無理だった。
さちみは、部屋に切り花を飾り続けるにはあまりにも弱い人間だったというワケ……。
これ以来、さちみの部屋には観葉植物だけ。
お花をいただいたら単純に嬉しいけれど、自分で買う決断をするのは、ちょっとしんどい。
以上、こじらせすぎて花を飾ることすらできないって話って話でした!
もっと気楽に生きたい!!!!
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