美人は得か?

美人は得か?そんなもん得に決まってる、と若い頃は即答できた。

アラフォーとなった今は即答できない。

ちなみにこれを書く私はちょいぶすである。

私はこれまで属してきた9割くらいのコミュニティで「普通~ぶす」扱いされ、残り1割のコミュニティで「ちょっと可愛い人」扱いされてきた。

夫とはその貴重な1割のコミュニティで知り合ったため、夫は私のことをちょっと可愛い人だと思い続けている(ように見える)。

ひよこが初めて目に入った生き物を親だと思い込むように、夫は周りからちょっと可愛い人扱いされている私を見て、この人はちょっと可愛い人なんだと思い込んだようだった。

さらに当時の私は若く、あくまで自分比だが人生の中でも一番容姿が良かったため、周囲のちょっと可愛い人扱いにも多少は説得力が生まれていたのだろう。

(なお、夫が「イケメンの友人」として紹介してくれた人が世間的に見て本当にイケメンだった試しがない。夫は残念ながら目もセンスも悪い。どうりで私を選ぶはずである。)

夫と結婚できたことは、自分の人生の中でもかなり運が良かった出来事だと常々感じている。

あのコミュニティで、あのタイミングで夫と出会っていなかったら。

想像するだけで怖い。

話が逸れた。

そんな訳で、私はちょっと可愛い人と見なされることでどんなにそのコミュニティで過ごしやすくなるのか、そうではないと見なされることでどんなにムカつく・悔しい経験が増えるのかを理解しているつもりだ。

じゃあ、ちょっと可愛いを通り越して誰もが認める美人だったら、もっと生活、ひいては人生が良くなるのか、というと、これはよく分からないなと思う。

アラフォーの私がこれまで生きてきて、「自分って美人じゃなくてむしろよかったかもな」と感じたことを書いてみようと思う。

ちなみに余談だが、私はとある国へ旅行したときに現地の人から猛烈に美人扱いされた経験がある。日本とのあまりの差に「これが美人の生活か!!!」と驚いた。いつかこのこともブログに書こうと思う。

美人じゃなくてよかったこと①ヤンキーと無縁

私の出身はド田舎で、通っていた公立中学校にはちょっとオラついたヤンキー男たちが何人かいた。

ヤンキーたちは美人な女子生徒が入学すると、その持ち前の行動力でどんどんカップルになっていった。

ちょいぶすの私がヤンキーのお眼鏡にかなうことはもちろんなく、のほほんと暮らしていた一方で、ヤンキーたちと美人たちはくっついただの別れただのと忙しそうであった。

今思えば、ヤンキーに言い寄られて振る・別れを切り出すっていうのは、美人たちにとって結構大変なことだったんじゃないだろうか。

相手はヤンキーだから逆上されたら大変だ。

時は流れて成人式の日、久々に中学校時代の旧友たちに会うと、ヤンキーに言い寄られていた美人のうちの一人が未婚の母になるということが判明した。

未婚の母=不幸と言い切れないが、二次会から顔を出したその子は終始うつむきがちであった。

(単につわりや体調不良の可能性もなくはないけど……)

久々の再開だというのに声をかけられなかったのは、席が遠かったからだけではない。気安く話せないような雰囲気があった。

美人に言い寄る男というのは、そのコミュニティ内のヒエラルキーが高く、自信と行動力があり、それゆえ強引なことが多い。

あの子が美人だったから、そういう男に振り回されたんじゃないのか?と思えてならないのだ。

彼女はけんかっ早いところがある一方で、誰にでも分け隔てなく優しいところが私は好きだった。

私は地元を離れてしまったこともあり近況が分からないけれど、優しかったあの子が幸せでいてくれたらなと願っている。

これが、美人という武器を自分に有利に使うのは、けっこう難しそうだと感じた経験のうちの一つだ。

私のようなちょいぶすだと周囲から基本的には良くも悪くも放っておかれるので楽だが、美人は本人が望まなくても人が関わってこようとする。

人間的に相当賢かったり、人が大好きだったりする美人以外は煩わしい思いをするだろう。

私はあまり賢くなく、内向的で人とのかかわりをあまり好まないので、ちょいぶすくらいでちょうど良かったと断言できる。

美人じゃなくてよかったこと②交際相手が容姿を重視していない

美人に限ってよく浮気をされている。

美人に言い寄る男は、美人の容姿に惚れていることが多い。

美人が一番美人なのは、通常若い頃で、その美しさは歳をとるごとに少しずつ失われていく。

つまり、男から見ると少しずつ魅力が減っていくとも言える。

そして先ほども書いた通り、美人に言い寄る男は、そのコミュニティでヒエラルキーが高い強者であり、強引なことが多い。つまり強者である。

強者で強引なのだから、さらなる美人を求めて浮気するのである。

美人からしたら、勝手に惚れてきて勝手に他に目移りされるのだから、振り回されて大変だろう。

そこを行くと、私のようなちょいぶすは、はじめから容姿の良さをあまり期待されていない。

それよりも、話しやすいとか、食の好みが合うとか、様々な観点から「俺という人間にフィットするかどうか」が見られているように思う。

美人が美しさという、移ろいやすい魅力一点で選ばれがちな一方で、容姿を売りにできない側は美以外の様々な評価軸で判断されているのだから気が楽である。

若い頃に美しかった人ほど美に執着するというが、そりゃそうだろう。

ちょいぶすな私は、もともと誰からも美を求められていないので安心して老けられる。

美人になりたいかどうか

ここまで書いてきて何だけれど、私だって今この瞬間から美人になれるもんならなりたい。

ただし、美人に生まれたかったとは思わない。

先ほども書いたとおり、私は自分の美人さを有利に使いこなせず、煩わしい思いばかりしてしまうだろうからだ。

ただ、今、この瞬間、美人になれるとしたら。

くよくよ悩んでいるときも、鏡を見れば美人が写っているのである。

絶対元気になれると思う。

悩んでる私も綺麗じゃん、とむしろテンションが上がってしまいそうな気すらする。

アラフォーだけど、なれるものなら美人になりたい。自分で楽しむためだけに。

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