①夫に悪いから
私が1年前に仕事を辞めて主婦になり、我が家の稼ぎ手は夫だけになった。
私が退職した頃、たまたま時を同じくして、夫は部署異動した。
夫の異動先は忙しい部署で、この1年間ほぼ毎日残業している。
土日休みの仕事だが、その土日ですら片方もしくは両日残業することも珍しくない。
妻が無職でうだうだしている間、夫は休む間もなく働いている訳である。
もちろん私も専業主婦として、家事も子育ても(完ぺきとは言えないかもしれないが)キチンとやっているつもり。
でも我が子はもう小学生と園児だし、平日の日中はいないし、ぶっちゃけ夫と比べて私の方が圧倒的に楽だと思う。
少しくらい家事の手を抜いたって誰も怒らない。ストレスフリーな毎日。
空いた時間はゲームもしちゃう。youtubeみちゃう。
私だって1年前は会社員だったので、こんな日々があり得ないくらい贅沢だってことは理解しているのだ。
要するに、私たち夫婦の間で家庭への貢献度というか、大変さに差があるのが現状で、それがシンプルに「夫に申し訳ないなぁ」と思うのだ。
私が少しでも働けば、不平等感は解消されるのではないか。
②夫が働けなくなったときに備えたいから
現状、我が家の稼ぎ手は夫だけなので、夫が何らかの原因で働けなくなった場合、収入はゼロになる。
投資信託などの金融資産や貯金も少しはあるけれど、私たち夫婦と子供2人がずっと暮らせるほどは無い。もってせいぜい数年。教育費も老後資金も当然足りなくなるだろう。
このまま私が年を重ねていけば、ますます就職は困難になるし、スキルもない訳だからお金を稼ぐのは困難になっていくだろう。
私が少しでも若いうちに就職するか、お金を稼ぐスキルを身に着けるかしないと何かあった時に家族が困る。
それは嫌だ。
③私に似ている我が子の働く道を探したいから
ちょっと何言ってるかわかんない、という感じかもしれない。日本語難しい。
私はかつて会社員だったけれど全然仕事ができなくて、メンタルを病んで仕事を辞めた。
我が子たちは残念ながら私に性格が似ていて、神経質で完璧主義な割に不器用で、打たれ弱く、コミュ障気味。
私は、我が子たちが大人になって社会に出た時にうまく進路を選べなかったら、私のように病んでしまうんじゃないかと今から心配なのだ。
かわいいかわいい我が子に、私みたいな思いはできることならしてほしくない。
それに、私は運よく夫と結婚できたので何とか生活できているけれど、子どもたちは結婚するかも分からない。というか、結婚してもしなくても人に頼らず金銭的に自立することは、幸福度にかなり関係があると思う。
親の自分に稼げる道があるのなら、自分に似た我が子もきっと同じく稼げるはず。
もちろん私と子供たちは全く同じ人間ではないのだし、これは根拠のない祈りみたいなものかもしれない。
ただ、「ポンコツなお母さんだってこういう風に稼げてるよ!大丈夫だよ、安心して!」っていう私の背中を、子供たちに見せたいのだ。
④教育費、老後費用が足りるか心配だから
今、我が家の家計はありがたいことに黒字である。
これは身を粉にして遅くまで働いてくれている夫のおかげ(大感謝)。
残業代が無かったら、わりとカツカツ。
夫がまた部署異動したときに、もし暇な部署だったら……
いや、夫の体を考えたらいいことなんだけど、いいことなんだけど……!
我が家の家計が赤字になってしまうのは確実。
しかも今は子供が小学生と園児だからあまり教育費も生活費もかかっていないけれど、問題はこれからである。
今後のことを考えると、少しでも私の収入があった方が絶対にいい。
老後の資金も心配だし。インフレで老後2000万問題どころでは無いっていう噂もあるし。ギエー。
⑤大学まで行かせてくれた両親に悪いから
自分が親になって思うけれど、私を大学まで行かせてくれていた両親はかなり頑張ってくれたんだと思う。
両親が私を大学まで行かせてくれたのは、私の人間的成長とか教養を身につけるとかそういう理由もあったかもしれないけれど、何よりも「私が少しでもいい仕事に就けるように」、という願いがあったんじゃないかと思う。
だから私が仕事に就いたときはとても喜んでくれた。(ちなみに辞めた報告をしたときの両親の態度は淡々としたものだった。淡々と「してくれていた」んだと思う。泣いちゃう。)
私が無職でい続けることは、両親への裏切りのような気が、どうしてもしてしまう。
もしかしたら両親は「そんなことないよ」と言ってくれるかもしれないけれど。
⑥自己承認欲求を満たしたいから
アッ、アマァァァァイ……
我ながら甘すぎるのは分かっているけれど、本音を書きたいので、書く。
就職までの私は、井の中の蛙とはいえ、田舎でそこそこの優等生をしていた。
「○○高校なんだ?すごーい」とか「××大なんだ?勉強できるんだね」とか、他人からかけられるそんな言葉に内心うっとりしていたのだ。
学生としては「できる人」枠だった。(あくまで田舎基準。)
そんな私が社会に出て、あっという間に劣等生になり、私のプライドは粉々のぐちゃぐちゃになった。
元(そこそこの)優等生が今や無職である。
人生って残酷だなー。
本音を言うと、私の中には「え?あの優等生の私が無職!?噓でしょ?」という気持ちが常にある。
勉強ができることと仕事ができることに相関関係はない、という揺るぎない事実。
分かっている。そんなことは実際に働いて、痛いほどに身に染みた。
でもでも、「え?私が?できない人なの?まっさかぁー!」という思いがずっと拭えないでいる。
今の時点では「できない人」として一旦終わっている私の職歴だけど、これで終わらせたくない。
なんとか、仕事でも「できる人」体験がしたい。
仕事で自己承認欲求を満たそうなんて甘いだろう。甘すぎだろう。
でも、でも。
誰か仕事でも私を認めてくれーって思っちゃうんだな。一度でもいいから認められたいなぁ。
⑦お金が好きだから
「お金が好き。」
なんて下品な響きだろうか。
でも私は子供の頃からお金が大好きだった。
幼い頃の私は漠然とだが、こう思っていた。
「お金は私に安心を与えてくれる。最高の精神安定剤だ。
辛いことや悲しいことがあったって、お金というあらゆる幸せとの引換券があれば大丈夫。
お金でお菓子やおもちゃを買えば、すぐに楽しくなれる。
やろうと思えばいつだって、私はこのお金を使って幸せを手に入れられるのだ。
だから何があっても大丈夫。お金があるから、すぐに私は幸せになれる。」
何かと敏感で心配性だった幼い頃の私に、お金は安心をくれた。
大人になった今は、お金であらゆる幸せが手に入れられるわけではないことは分かっている。
でも、お金があれば簡単に解決できる問題がたくさんあることも昔以上によく分かっている。
だからお金は、今も昔も私にとっての大事な精神安定剤である。
お金、ほしいー。安心したいー!
だから稼ごう、自分。
7つ理由を挙げた。どれも本音だ。
また在宅ワークの求人に応募してみようかな。
何が正解か分からないけど、少しずつでも動き続けようと思う。
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