歳をとると、肉体はどうしても衰える。
私自信も体力がなくなってきているし、肌のハリは無くなったし、白髪もチラホラ出てきた。
目元に細かいシミがうっすらと出てきはじめているので、そのうちレーザーでも当てたいな。
というように、老いと肉体に関して語るとき、ついついネガティブな面を意識しがちだけど、個人的には「歳をとったからこそ良かった肉体への変化」がいくつかあったので、今回はそのことを書こうと思う。
パンパンだった顔がちょうどよくなった
若い頃の私の顔はパンパンに張っていて、まるで饅頭のようであった。
ダイエットをしても顔はパンパンのままで、実際の体重よりも太ってみられることが多かった。
やたら健康的な自分の顔が嫌いだった。
もし私が若い頃、今のように整形手術がカジュアルなものであったら、私は恐らく顔面の脂肪吸引をしていただろう。
脂肪吸引をする勇気もお金もなかった若い私は、ほっそりとした儚げ美人たちの顔を見ては羨ましく思っていた。
しかしながら、アラフォーの今、なんかちょうどいいのである。
パンパンだった顔が加齢により少ししぼみ、いい感じのボリュームに収まってきていて、少なくとも以前のように邪魔には感じない。
儚げ美人たちが「目の上がくぼんできた……」とか「げっそりして見える……」とか悩まし気にしている横で、私には今のところそういう悩みがない。
近年になって、メディアなどでよく「顔の脂肪は財産」という言葉を聞く。
どういうことかといえば、「若い頃はもてあましがちな顔の脂肪だが、歳を重ねるとむしろ必要になってくるから、顔の脂肪吸引は慎重に。」ということらしい。
全く同意である。顔の脂肪、万歳。
あんなに邪魔だった脂肪が、こうして役に立つとは。
人生って分からないものだ。
剛毛・多毛・癖毛の三重苦が、むしろ美点へ
私は子供の頃から剛毛・多毛・癖毛の三重苦に悩まされていた。
はじめて行く美容室では「髪の毛が多いですね」と100%言われる。
(余談ですが、髪の毛多い人あるあるだと思うんだけど、髪を切り終わった後、美容師さんが落ちた毛を床で集めて「ほらこんなにたくさん切りましたよ」と見せてくれることがありますよね。あれって美容師さんとしては多いのかもしれないけれど、正直言ってこちらとしては想定の範囲内。私はとりあえず「あ、ほんとですね」などと返しているけれど、あれはどんなリアクションが正しいのだろう。「わーこんなにたくさん!」なんて驚くのも白々しいし。別にいいけれど、毎回正解が分からないなと思う。余談でした。)
高校生になってストレートパーマをかけるようになってからはずいぶんマシになったけれど、それでも髪型が決まらないストレスは常にあった。
朝起きるとたいてい髪がギョッとするような大きさにまで広がっているので、そのボリュームを何とか二度見されない程度の大きさにまで減らす工程がある。
ボリュームを減らす作業に精いっぱいで、それをさらにおしゃれにするなどということは、不器用な私にとってとうてい不可能であった。
一方、私の学生時代の可愛い子たちは、皆そろって髪の量が普通~少な目で軽やかだった。
彼女たちはさらさら艶々の毛を編んだり結んだりアレンジして、ますます可愛さに磨きをかけていた。
こちとら人並みの頭の大きさに整えるだけでも一苦労なのだから、アレンジなんてとてもできやしない。
髪なんて結んだら、しめ縄みたいになるのがオチだ。
可愛い子が0→10の努力をしている間、私は-15→-5の努力をしている訳で、同じ10の努力と言えども報われない感が半端なかった。
そんな悶々とした青春を送る私に対し、父方の祖母はいつも「あんたの髪は本当にいい!」と褒めてくれていた。
祖母は私と正反対の髪質の持ち主であり、薄毛、細毛、癖無し。
祖母は数か月に一度近所の美容室へ行っては、少しでもボリュームを出そうときつーいパーマをかけていた。
「ありがたいけど、正直おばあちゃんにだけ褒められてもねぇ」と思っていた、若い頃の私よ。
おばあちゃんの言っていることは本当かもしれないぞ。
アラフォーにもなると、同年代の友人からチラホラ「髪のボリュームが無くて……」という悩みが聞こえ始める。
そう、顔パンパンの件と同じ現象が起き始めているのだ。
私も髪のボリュームが減っているのかもしれないが、元がありすぎるので全然気にならない。
むしろ若い頃よりも少しまとめやすくなっていて、老いがむしろプラスに働いている。
私の髪質は母譲り(現在60代)なのだが、母にいたってはもはや自分の髪を誇っている。
母曰く「私(母)が若く見られるのは髪のおかげだよ。」だそう。
たしかに母はよく若く見られるのだが、よく見ると顔や体形は年相応だ。
あんなにも毛量がなければ若く見られるはずがない人なのだ。
母を見ていると、同じ髪質の人間としては未来が明るい。
【まとめ】歳をとったら健康的な方がいい
無いものねだりなんだろうけど、学生時代は健康的じゃない方が同世代間の人気がある気がする。
健康体なのにやたらダルそうにしたり、病み自慢をする若者たち。
学生時代は同じ美人でも、華奢で儚げな人の方が健康的な人よりも素敵に見えた。
健康的な人の方が素敵に見えるのは、やはり社会人以降だろう。
社会人になって社会に揉まれ、ストレスに晒され、だんだんと若さを失い、その中で健康の重要性に気づく。
学生時代は
病弱な美人>健康的な美人>>>>>>>>>>>>>>>>>>>健康的なぶす
社会人以降は
健康的な美人>>>>>>>>>>>>>>>>病弱な美人>>>>健康的なぶす
くらいにはなっている気がする。
場合によっては、病弱な美人よりも健康的なぶすを選ぶ人もいるだろう。
私の顔パンパンも髪の三重苦も、言い換えれば生命力の表れであり、健康的といえる。
そんなわけでアラフォーの今、少しずつ私に風が吹いてきている。気がする。
コメント