最近の私は、相変わらず無職である。
言い訳すると、最近は生理(30代になってから症状が重くなった)と風邪が重なったほか、息子の療育やASDについて調べていてうまく動けなかった。
言い訳になっていないか。
生理で風邪で調べものをしながら仕事を並行してやっている人なんて世の中にたくさんいるんだから。
世の中の働いている人はすごいよなぁと、本当にいつも感心してしまう。
「しがないサラリーマンです」なんて聞くと、サラリーマンが続けられなかった私からすればそれが謙遜なのか自慢なのか分からないくらいだ。
それが何であれ、自分でお金を稼いでいるというだけで、無職の私よりもずーっと偉い、天才、あんたが大将、という気持ち。
そもそも自分の能力を発揮できる環境に自分を置けるって、なんてクレバーなんだ。
時々、「若い頃、俺に勤め人は無理だと気づいて、それで〇〇(一人でできる仕事、何かかっこいいやつ)を目指したんです」なんて成功者のインタビューを読む。
驚いてしまう。
その、若くして自分には勤め人は無理だと理解する客観性、賢さ、そしてそんな自分が活躍できる場所を探す嗅覚、実際にそこで活躍するための努力。
すごすぎる。感服である。
私は、子供の頃に自分の将来なんて考えていなかった。ぼんやりした子供だったのである。
勉強はそこそこできたから、自分はどこに行ってもそこそこできるだろうと勘違いしていた。
会社とは学校と同じようなものだと思っていたので。
でも全然違っていた。
学校は、いわばおもちゃ箱みたいなものである。
自分にとってのお気に入りも入っているし、中にはそんなに気に入っていないものも入っている。
例えば、全然切れないけど、デザインがちょっと珍しいから取っておいてあるハサミ。
例えば、よく分かんないけど、いつの間にか入っていた謎の錆びた釘。
例えば、捨てるほどではないけど、あんまり面白くなかった漫画。
そんな感じで、要る物もあんまり要らない物も、とりあえず入るからそこにいてOK。
でも会社は違う。会社は道具箱である。
道具としての能力が無いのならば、そこにいる資格は無い。
デザインなどはどうでもよく、とにかく切れるハサミである必要がある。
もし切れないハサミが道具箱に入っていたら、あなたはきっと手に取るたびにイライラするだろう。
仕事が立て込んでいるときだったら、ムカついてそのハサミをぶん投げるかもしれない。
そしてできるだけ早くその切れないハサミを捨てて、よく切れるハサミを新しく買うだろう。
会社では何よりも仕事をスムーズに進める能力が大切で、私にはそれが無かった。
おもちゃ箱には残してもらえていたけれど、道具箱の中ではただそこにいるだけでムカつかれる存在だったのである。
結局、散々ぶん投げられて、自分から道具箱を去った。
もしかしたら、学生時代にもっと自分のダメさを知れていたら、私も真剣に将来の仕事というものについて考えたのかもしれない。
学生時代はちょっと変わった子として、逆に面白がってくれた人たちが周りにいてくれたから(ありがたいことだし運が良かったと思う)、危機感が芽生えなかった。
学生時代と社会人とで求められるものが違うって、もっと早く気づきたかったよな~なんて言ってももうアラフォー。どうする。
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