タイトルの通り、私は大人になってからASDと発覚した。
正確に言えばASDグレーゾーン。
障碍者手帳を持っていないし、医師からは「ASDの『傾向』があります」という言われ方をしたからだ。
自分では不注意な部分もあると思うけれど、一応ADHDではないらしい。
今日から、自分がASD(グレーゾーン)だと判明した経緯を思い出を交えつつ書こうと思う。
「うちのお母さんって他のお母さんと違う」と思っていた幼少期
私の母は未診断だが、私よりも特性の強い発達障害だと確信している。
あくまで素人判断だけど、ADHDとASDのどちらの特性もありそうだ。
まずは、母のADHDっぽいところについて。
今も昔も母は、常にきょろきょろしていて落ち着きがなく、待つことが苦手。
人の話、特に子供のつたない話を最後までじっくり聞くなんていうことは一番難しい。
母は幼い私の話をほとんど聞いてくれなかった。それに加えて思い込みが激しい&行動がやたら早いという性質もあったことにより、幼い私はいつも翻弄されていた。
例えばこんな感じのトラブルが日常茶飯事だった。
①母が私に「Aは要る?」と尋ねる。
↓
②私が「うーん、要らないかな」と伝える。(私が回答している時にはすでに母はこちらに意識が向いていない。別の行動に移っているか別の場所に移動している)
↓
③母「はい、Aだよ」と私にAを渡す。
↓
④私「え、要らないって言ったのに」と困惑
↓
⑤母「要るのかと思ってもう用意した。せっかく用意したんだから受け取りなさい!」
↓
⑥私「要らないって言ったのに勝手に用意したのはそっちでしょ。要らないよ」
↓
⑦母とケンカ勃発
ここで注意してほしいのが、母は私の返事が聞こえなかったり聞き間違えたりした結果、用意したのではない。
はじめから母の中で「要るに違いない」という思い込みがあるため、そもそもこちらの返事を聞こうとしていないのだ。
だから、場合によっては私に「要る?」と聞いた時点ですでに用意されている場合もある。
また、私が「要らない」と返答した声がきちんと母の耳に入った場合、母は「なんで要らないの!?要るでしょ!?」としつこく確認してくる。母の中で私は「要る」と答えると決まっているからだ。
ここまで読んでくださった方は「そんなことでケンカだなんて大袈裟な」「お母さんだって良かれと思って用意してくれたんだし、一応受け取ってあげれば」「うちだってそういうことあるよ」と思うかもしれない。
でも、これが毎日毎日、何度も起きるのだ。
母の用意したものを全て受け取ってしまえば、私は食べたくない物を食べさせられ、要らない物を持たされ、行きたくない場所に行かなければならない。毎日毎日。
特に困らせられたのは、母が勝手に食事のお代わりを用意してしまうことであった。
母は「もうよそっちゃったんだから食べなさい!」と食事を押し付け、太りたくない私は「もうおなかいっぱいだから要らないよ」と断る。
普通に残して翌日食べればいいと思うのだが、我が家は母の買い込み癖で冷蔵庫がぱんぱんなので、残り物を入れるスペースがない。
また、母には「食事を残させない」というこだわりがあり、勝手に母がよそったものでありながら、私が残そうとすると烈火のごとく叱られた。
一応断っておくと、私は普通の量の食事は摂っていたし、体型も普通~小太りだったので、母が瘦せている私を心配して無理に食べさせたという訳ではない。
なんなら、体育で騎馬戦をする際、私はメンバーの中で最も背が低かったにも関わらず「重そう」という理由で馬役をやったというエピソードがあるほどだ。
そんな私が母に叱られたくなくて無理やり食べ続けた結果、当然太った。
そんな私を見て母は「豚みたい」と悪気もなく言うので、私の感情はもう滅茶苦茶であった。
思い出すだけでウンザリしてくる。
一緒に暮しているとき、どうして母はこちらの意思をきちんと確認してから行動しないのか、毎回同じことでケンカになっているのになぜ学んでくれないのか、と思っていた。
私だって、母が良かれと思ってやってくれているのは、幼い頃から分かっていた。
本当に、母は私が欲しがるだろう、私に必要だろうと本気で思って用意してくれているのだ。
ただ、私の意思を確認せず、一方的で強引なところが問題なだけで。
ずっと、自分の意見がないがしろにされているように思えて辛かった。
ちなみに、私は成長するにつれて、母が勝手に用意したものはケンカになっても絶対に受け取らない、仮にその場で受け取らされても母に分かるように捨てる、などの荒っぽい方法で拒絶するようになった。母と、時には大声や手が出るような激しいやり取りを何百回何千回(大袈裟ではなくこういう回数)と繰り返し、母に「こちらが勝手に用意してもこの子は要らない時は受け取らない。だからこの子に確認せずに勝手に用意しない方がいい」という意識を植え付けることに成功した。母が分かり始めてくれたのは、私が大学生になって家を離れたくらいではないかと記憶している。母の一方的とは言え、好意でやってくれたことを何度も拒絶するのは私だって辛かったのだけど、そうでもしないと母には理解してもらえなかったのだ。他の親なら「要る?」「要らないよ」「分かったよー」のやりとりだけで済む話が、なんでうちはこんなにも拗れるのかと、情けないやら馬鹿馬鹿しいやらであった。なお、母は私に対してだけでなく他の家族に対しても同じことをしている。私は毎回暴れていたので今は被害に遭わずに済んでいるが、優しい他の家族は今も被害に遭い続けている。
また、母には他にもADHDっぽいところがいくつもあった。
・忘れ物やうっかり、思い込みが多いため、用事をスムーズにこなすのが難しい。
(ただし、本人はかなり動きが早く、気づいてからのリカバリーも早いのでたいていの場合カバーできていた。他人が1往復で済む用事を、母は忘れ物などで3往復するが、他の人が1往復する時間で3往復するので結果的に間に合う、というイメージ。)
・遅刻が多い。時間の感覚がずれていて、ギリギリまで別のことをしているのが原因。こだわりが多く、忙しくても家事を省略できない&家族に任せられなかったのも理由だったと思う。当時の私は「母は大人なのになんでいつも遅刻するんだろう」と思っていた。
・思ったことをすぐに口にするから失言が多い。他の人同士の会話に急に入ってきて流れをぶった切る。
・所有物が多い。5人家族だったが、家の収納の6割は母の私物だったと思う。
(これは世代の価値観もあるかも。ちなみに実家は散らかっていなかったが、それは実家がド田舎ゆえに家が大きく、収納もたくさんあったおかげと、掃除好きの母にとって床に物が落ちていると掃除の邪魔だったからだと思う。今でも実家の収納には、どこもぎっちり物が詰め込んである。それでも家に入りきらないものは、庭にある大きな蔵にすべてぶち込まれている。)
このように、あくまで私の素人判断だけど、母はADHD味がかなり強い。
不注意、多動、衝動性、しっかりコンプリートしている。
一方、母にはASD的な要素もあった。
言い間違いに極端に敏感であったり、自分ルールが多かったり、空気が読めなかったり。
先ほど書いた「食べ物を残させない」という謎のこだわりもASDっぽい気がする。
コミュニケーションが得意ではなく、ご近所付き合いやPTA活動などは人当たりのいい父が担当していた。(同じASDとしては羨ましすぎる部分。)
このあたりのASD的要素は、私は母からがっつり受け継いだと思う。
だからか、この辺の母のASDっぽさは私の中ではわりと受け入れられていたように思う。(食事の件は抜いて。)
「そうだよね、人付き合いって嫌だし、自分ルールでいろいろやりたいよね。分かる分かる」というように。
とはいえ、私自身もASDなので自分ルールで自分の納得いくようにやりたいのに、母のルールの方が強制的に優先されてしまう。
しかも母のルールは私にとっては意味不明で細かくて、間違うと叱責されるどころか殴られることすらあるのだ。
母の独特かつ目まぐるしいペースに合わせるのは、ASD特性を持つ子供の頃の私には大変なことであった。
私は私で自分の思う通りにきっちりやりたいのに、いつも母が乱入してきて、かき乱されてスムーズにいかない。
そんなふうだから、実家を出るまでの私は毎日ずっとイライラしていたように思う。
私の母は本やテレビに出てくる、優しくて包み込んでくれるような母親像とは全然違っていた。
フォローする訳ではないが、一般的な母親像とは違えども、母が母なりに愛情深く私を育ててくれたのは間違いない。
私が何かを望めば必ず応えてくれようとしたし(こちらの意図した応え方ではないことも多かったけれど)、どこかに行きたいといえばそこに連れて行ってくれた。
ASDで育てにくかったであろう私が、どんなに生意気で嫌な態度をとっても見捨てることはなかった。
母自身、発達障害の特性ゆえに日々の生活で困ったことはたくさんあっただろう。
あんなに不器用で凸凹な人が、よくも子育てをやりきったなと思う。
自分が親の立場になって、素直にすごいと感じるようになった。
子どもの頃は母に不満ばかり感じていだけれど、今となっては母は母なりに手をかけて愛情をもって育ててくれたんだということがよく分かるので、感謝している。
「お母さん、大変だったね。がんばってくれたんだね。」と労ってあげたい気持ちだ。
とはいえこれは、あくまでも今の気持ち。
子どもの頃の私にとっては、母の愛情は不器用で一方的で、いつも混乱のもとだった。
母親に混乱させられている子どもなんて、周りの友達を見渡してもいなかった。
そんな訳で、私は幼稚園生くらいの頃にはすでに「母は他のお母さんとは違う、変わった人だ。」と認識するようになっていた。
そして「お母さんに比べれば、私は普通だな。」とも。
私は子どもの頃から何かと「変わってるね」と言われることが多かったけれど、家には自分よりももっと変わった母という存在がいたので、「私が変わっているのはお母さんのせいかなぁ」と思っていた。
今思えば、親が発達障害でも子供が健常児なら普通の子に育つのだから、私が変わっているのは私が発達障害児だからだ。
でも当時はそうは考えられなかった。
自分を差し置いて「どうして母はあんなに変なんだろう、なんでだろう」と不思議で仕方なかった。
そして、母をいつか解明したいという気持ちを心の隅に抱えるようになった。
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